君子は諸(これ)を己に求む、
小人は諸(これ)を人に求む (『論語』衛霊公第十五)
という言葉がある。
上に立つ立派な人は周りに起きた諸々の過誤や失敗に対して謙虚に反省し、自ら責任を取る(果たす)。しかし、未熟で卑怯な者は、自らの過誤や失敗を他人のせいにして反省などしないし、平然としている、という意味である。
いま日本の政界で起きている政治の裏金問題を軸に、自己を見つめ本来あるべき姿を追求する「内省」の重要性をみていこう。
裏金問題に対する一連の政治家の態度は、まさに小人の取る態度に似ているのではないだろか。
裏金問題が起きているという事実、そして、その責任は上に立つものが取るべきであろうことは政治家のみならず良識ある国民のほぼすべてが認識しているだろう。にもかかわらず、当事者は誰も「己に求む」ことをしようとしない。
孔子がいうところの、「未熟で卑怯な者は、自らの過誤や失敗を他人のせいにし、反省などしない」という状態になっている。何が正しいのか、何が問題なのか、考えれば判ることを先のばして、判断しようとしない、うやむやにして責任の所在を不明確にする。
日本の方向性の舵取りをし、国民の福祉と幸せを守るはずの、与党の国会議員をしてこの体たらくである。かような事を続けていけば、世の中がどうなるのかは自明ではないだろうか。
このように、自らを省みない人々が、人の上に立つ資格があるのだろか。
私たち、国民も一人ひとりもこの事態を見過ごしてはいけない。
主権者としての責務(投票)を果たすとともに、自分自身の身の回りをしっかり観察し、「己に求む」べきことなのか、「他人に求む」べきことなのかの判断をくだし、家庭・地域社会・企業社会を、今より少しでも良くすべく働きかけていくのが本来あるべき姿だ。
日々の生活の中で起きている様々な出来事や、自分自身に関わる様々な出来事の中には、原因・結果の因果関係がはっきりしているものもあれば、複雑に絡み合って判然としないものもある。それでも、内省を通じて自分自身の中に尺度・基準を明確に持ち、「己に求む」べきことはしっかりと受け止めて対応していくような生き方が、主体性を持ったリーダーとしての生き方につながる。
「利他の心を持ち、利他の行動を起こす」ことが自分自身の成長の成長に繋がっていくが、中には「利他の心を説きながら、利己の行動を起こす」者がある。いわんや「利己の心で、利己の行動を起こす」者たちをしっかり見極めていこう。
上に立つ者は、自分自身の足元をしっかり固めながら、内省する力を養い、内観を実践することによって、正しいことを正しく行う習慣を身に着け、あるべき姿を追求することで、組織・社会の構成員の幸せな生活を支えていくことが求められる。
株式会社CSDコンサルタンツ
代表取締役 西里 喜明
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